Jack Lowe and the lifeboats: “closing the loop on history”

ジャック・ロウと救命ボート:「歴史の輪を閉じる」



ジャック・ロウはニューカッスル出身の写真家で、エドワード王朝時代のフィールドカメラと移動式暗室を使い、UKとアイルランド内の全てのRNLI(王立救命艇協会)救命ボート・ステーションでの勇敢なストーリーを伝えることに人生を捧げている。これまで彼は5,000マイル以上の距離、5年の年月をかけて撮影してきて、最後の238番目のステーションに辿り着くまでに、少なくともあと3年はかかると見込んでいる。



ジャックが今までの5年間(そして、これから少なくとも3年間)伝えているストーリーとは、王立救命艇協会(RNLI)という、海で救命活動をおこなうチャリティーだ。エドワード王朝時代の銀板カメラと1850年代に一般的に用いられていた現像方法で、ボートに乗ってUKとアイルランド全域にて海上人命救助を行う勇敢な男女のポートレートを撮影している。238ヶ所の救命ボートの基地と、ほぼ4000人いるとされるボランティアを記録するのは、簡単に引き受けられる仕事ではない。2019年2月時点で、ジャックは撮影のためにすでに5000マイル以上も移動していると見ている。彼が実際どのように仕事をしているのかには後ほど触れるが、この巨大プロジェクトが、ほぼ完全に自費のみで賄われていることは言及に値する。真の愛情に基づく仕事であるこのプロジェクトは、寄付、そしてこのプロジェクトに魅了されその数が増え続けているファンによる商品購入によってサポートされている。ファンの人たちがジャックの情熱と被写体に対する敬愛に共感しているのは間違いないだろう。彼らは、歴史的記録事業、未だ嘗て誰も挑んだことのない課題に取り組むジャックの努力を高く評価している。



しかし今現在、ジャックは絵ハガキに収まるような壮大な景色を欲してはいない。彼に必要なのはエプロン。被写体を見つけると、さっと取り出す。重たいダックキャンバスはよく使い込まれて、真っ黒な液体のハネによって、斑模様になっている。彼は頭を少し下げ、エプロンをシャツの襟元に抑える。エプロンの紐を背中に回し、きちんと締める。見ていると、儀式的なものが行われている印象を受ける。そして、仕事開始!ポートパトリック支部救命ボート・クルーのコックスであるロバートの肖像を捉える為、下へ降り、さらに近く、前進する。なかなか手強いことが証明された作業だった。自分で自分を「お坊ちゃん」と評したジャックは、ロバートに写真に映るためのポーズを取らせようとしていた。ロバートは毎日、人命救助に文字通り忙しく、写真どころではない。



「僕の1日の大半は」後になってジャックが言う「ロバートが『やめやめやめ、自分の写真なんて撮られたくないんだ』と言われるに尽きたね」。5年前にこのプロジェクトを立ち上げた頃は、そんな拒絶にオロオロしていたと続ける。けれども今は、彼の言う「自分の人生をかけるライフワーク」を構成する、数多くの楽しむべき挑戦の一つとして見ることが出来るそうだ。彼の暫く待っている間に、急にジャックがエプロンをつけるという瞬間がやってきた。「僕のエプロンは、僕の制服です。皆に対する僕の印象が随分変わるんだ。銀塩がとびちったエプロンをした男を見たとたん、僕がものを創る、繋ぐ人間だということが伝わる」。エプロンには良い効果がある。ロバートは和らぎ、ポートレートは撮影される。



「ああいうことは毎日ある」とジャックは言う。「何よりも、僕の仕事は共感力と思いやりを持とうという努力であり、出会う人たち一人一人に受け入れてもらうことだと思う。結局の所、私たちは皆只の人間ですから、でしょ?」



ジャックは、1日に何度かこのような見解を述べる。紙の上では、もしくは更に勿体ぶった人からの言葉と取れば、大げさな奴だと成り兼ねない発言だ。少し真面目過ぎるので、逆に全く本気ではないのではないか、という印象も与え兼ねない。だがジャックからのこのような見解は、彼の仕事の地に足がついた感覚と、被写体に見られる勇気や豪胆さへ対する心からの敬愛との組み合わせから、自然と作り上げられたものである。彼らのような、自分の命を危険に晒してまで人を助けようとする勇敢な魂=重要な人物たちは他には何処にもいない、と感じているようだ。全く知り得ることの出来ない事が全ての様な、深く遠いところに船を出す。何年もの間、同じ箇所の凍るような潮水に触れ、海の同じ波間に出てパトロールしていても、悪い予感がしないことはない。「何年か前に」とジャックは言う「1人の乗船員が僕が撮った写真を見ながら言ったんだ『俺達、昔の英雄みたいに見えるな!』って」ジャックの反応は、必然的にこうだった。「彼に言ったよ、それは、皆さんが本当に昔の英雄と同じだからです。同じ価値観が体の核にあるから。でも、そんな人はそんな風に思ったことがなかった。まあ、昔みたいに手漕ぎボートを馬に引かせて町を通り抜けたりはしていないけど、意図は変わっていない。海で困った人が居た時に、要請を受けた瞬間、自分のやっていたことを全部ストップして助けに行くという意思は、全く同じものだから」

このような、ジャックとその被写体との交流は、当たり前の事になってきた。協会のクルーが、ジャックのねつ熱量と秘技レベルに達したレンズを通して、自分達を違った視点から見られるようになる、そんあ宗教儀式的な瞬間だ。彼が疑いなく推測することには、この昔ながらのプロセスが、このようなリアクションを引き起こすのに大きな部分を担っている。「歴史の輪を閉じるんだ」とジャック。「何故なら、救命ボートのボランティアを最初に撮影した写真も、同じようなやり方をしていたはずで、それで、現在の乗船員も自分たちのことを『昔の英雄』に重ね合わせる事が出来ているんじゃないかな」。彼は少し間をおいて、もう既に何千回も国中の沿岸地域で行ってきた作業からの休憩をとる。「これが人生をかけて行う仕事で、僕が自分の遺産を創っているのだとしたら、それはこのプロジェクトになる。けれども、自分にとってと同じように、もしくはそれ以上の意味合いで、救命ボートの救助員やボランティアの人たちのレガシー(遺産)を創っているんだと思う」

これは本当のようだ。ジャックにどうして写真家になったのか、何がきっかけでこの分野に興味をもつようになったのかと尋ねると、いつも救命ボートの話を何処かで織り込まずにはいられないからだ。彼が8歳の時に初めてインスタマチックカメラを受け取ってからのエピソードは全て10歳の時にイーストカウズで初めてインショア・救命ボート・センターに行ったときの思い出話に繋がっていく。子供の頃の寝室を暗室に改造した話は全て実在するスーパーヒーローとして彼が見つめている救命ボートに乗る男性や女性たちの話に溶け合っていくのだ。



そして、今日のジャック・ロウの救命ボートのスーパーヒーロー・ストーリーはどうなのか?洋服がどんな役割を担っているかの短い話は、ナレーターとディレクターという彼が演じる役に入るため一助となる。間違いなく、ジャックと彼の被写体を力づける服は、御伽世界の衣装よりも共有すべき気持ちを高めてくれる。「ある一定の気の持ち方を呼び寄せてくれるような服、何よりも、やらなければいけない仕事があるんだということを表現してくれる服・・・そう言ったものに惹かれます」とジャック。「ケーボンの服が凄く好きなのも、そういう気持ちを凄く上手く掴んでいるからなんだ。言ってみれば、服が単に海の伝統とか僕が興味のある基準点を取り上げているだけではなくて、凄く合っているな感じがするし。それから、こういう服を着ていたであろう働く人の何かが、服に上手く込められているように見える」。

次にジャックが挙げる話、ウェス・アンダーソンの映画は、少し変化球なのではないかと初めは思わせられる。豪華なテイストで飾られた画面を作ることで知られる作家、そして人生を海水に晒している人々のドキュメンタリー写真を撮ることに人生を捧げている写真家。それは厳密にいつも同じ服装をしている写真家で、その両者にどのような共通点があるのだろう?ジャックが具体的に説明すると、共通項が見えてきた。「僕が取り組んでいるようなプロジェクトを成功させるには、いくつかのキーとなる構成要素が必要になってくると思っていて、ウェス・アンダーソンの映画にはそれが全て揃っている。目的。行程。感情の引っかかり」。ジャックは一旦考えを纏めるのに間を置き、更に続ける「そして、(ウェス・アンダーソンの2004年の作品)ライフ・アクアティックに出てくるような、面白い乗り物」。



ジャックの場合は、先述の映画に登場するジャガー社製の鮫狩猟の為の黄色い潜水艦ではなかったが、退役救急車が移動式暗室になった「ニーナ号」という、映画に登場できるレベルで癖の強い乗り物である。ニーナ号は、ebayに運命を司られた、愛車を手放す悲しみに涙した学生2人から、ジャックがこの可愛らしい名前(読者が未だ気づいていないのであれば、救急車のサイレンの音に由来するシャレである)を使い続けるという条件で手に入れることになった経緯があったという、非常に面白い話をしてくれた。

それ以来、ニーナ号はジャックのプロジェクトの特別な部分となり、移動式暗室としての実用的な面だけでなく、ソーシャルメデイアでジャックの仕事ぶりをフォローしている人たちの間でも多くの愛情を込めた関心を寄せられる対象となった。「ニーナを擬人化して、側面に名前のペイントをしたり、 #neenaspottingというハッシュタグを開発したり、ニーナのTシャツをつくったり・・・1種の流行りモノになったんだ」ここで、ジャックはもう1つのウェス・アンダーソン作品に言及する。2人の主人公が、とうとう自分たちの特別なモノを見つけ(この場合はビーチだった)彼らがずっと夢見ていたような生き方をすることができるようになる。「ニーナが」ジャックは言う。「僕にとってのムーンライズ・キングダム(2012年のウェス・アンダーソン監督の映画)なんだ」



ジャックはニーナ号の心地良い狭い空間の中で、ひたすら同じ体制で作業をしていただろうことが伺われる軽快な感じで作業台の上に身を置いている。救急車の外では、いよいよ世界のこの部分で最上なことをする決心を天が固めたようだ。冷たく激しいどしゃ降りの雨が、海面にも、岩にも、ニーナ号にも、村やその住人達にも打ちつけ始める。その後直ぐに、ジャックはこの数年のうちに慣れた挑戦のうちの1つを受け入れつつ、落ち着いて外に出る。足元のブーツをしっかりと履いて、その目線は今までにないほど安定している。遅くに、地元のパブにて、数時間前にはバリアを張っていた男達から何杯ものビールを一緒に飲もうと歓迎されることになる。「その頃には、仕事に努力している様子も見てもらっているし、ただパーティーのネタに何かを持ちこもうとしているだけだってことが伝わっているから」と、数日後に再会したときにジャックは言っていた。



もしかすると、ジャックの作品の力は、大勢にとってのムーンライズ・キングダムの始まりのような物なのかも知れない。ティンセルタウン(ハリウッド)キッチュとか心理的にも物理的にも遠いものではなく、ブリティッシュ・キッチンのような身近な人々と場所から私の仕事が来ているのは確かだ。頑固で意思が固いとされている人々や場所、そして果てしなく無愛想なコンディションからではあるが - 逆に益々、素晴らしい事だと思う。全ての偉大な写真家達の様に、ジャックにも表面の光が当たっている部分よりも内側にある先天的な何か、この場合は祝福すべき何かを見出すことが出来る。照明を当て、永久的にグレースケールの板に存在させるものを作る価値の何か。写真の中の人々が毎日経験しなければいけないことの、ほんの1部だと知りながら沿岸地域特有の風雨と寒さの合わせ技に耐える価値のある何かなのだ。

「この世界にはクソみたいなことがほんとに多くて」ジャックは言う。「家に帰ってから、ようやく最近のニュースを知ったんだけど、自分が救命ボートのプロジェクトで実現しようとしていることの真逆だなと思った。僕たちは、この狂暴な世界において、一緒に良いニュースを作りあげていて、そのことを本当に誇りに思っているんだ」。