ナイジェル・ケーボン|Nigel Cabourn

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/ ナイジェル・ケーボン アーミー・ジム福岡店

HANDLER INC.中島氏

2018.12.20[ アイテムの拘り ]
ブログをご覧の皆様こんにちは。

福岡店の古市です。

前回のブログでお話ししたようにハンドルミシンの職人中島氏に迫った記事を
皆様にお届け◎

それでは早速ご覧くださいませ。

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群馬県桐生市在住。

高校卒業と共に刺繍会社に勤め営業職を10年勤める。

桐生市は江戸時代から桐生織という織物が盛んで、東の桐生と言われるくらいの糸の街なので
男性の中島氏でも刺繍という職種に気後れもなく、刺繍業界に足を踏み入れる。

刺繍の営業職というのは印刷された刺繍図案(現在は画像データなど)を頂いて刺繍の仕事を
集める仕事。

刺繍をするのは熟練の従事者で作業はジャガードミシン刺繍と呼ばれるオートメーション化された
コンピューターミシンを扱う。(現在商品化されている刺繍では全体の約8割以上を占めている)

ジャガードミシンは大量生産、工期短縮、仕上がりの精密性に加えコストを抑えることができることから
1900年代中期まで盛んであったミシン1台に1人が従事するハンドメイドミシンは刺繍の脇役に成り代わりました。

日本ではそのような時代でも細々と受け継がれたのは、少量の生産が可能なことと請負量が少ないのですぐに
取りかかれるため便利だったようです。

少量の仕事を預かると職人さんに仕事をお願いしていましたが、近年はその仕事量も激減しわずかにいた
職人さんは次々に別の職種についてしまいました。

仕事をこなさなければならず、中島氏は職人を探すことではなく自ら刺繍をすることに挑戦。

このタイミングで刺繍会社を退社。

ジャガードミシン刺繍と並行し、およそ7年間もの間、手ハンドルミシンのノウハウを学んだといいます。
職業柄ミシンの使い方はある程度知っていたため困ったこともありながら何とか独学でやっていけたことは
幸運だったとのことです。

あの刺繍技術を目の当たりにした後に独学と聞いてとても驚きました…

手ハンドルミシンに憧れ、ミシンテクニックと刺繍の知識が蓄積されてくると純粋に手ハンドルミシンが
楽しくなってきたとのこと。(イベント最中は食事もとらずノンストップでお客様のアイテムに刺繍されていました。)

下積みを7年と言っても内容の濃い月日ではありませんが、いつの間にか20年のキャリアになってました。

と、笑顔で語る中島氏はまるで少年のようでした。

ここ数年にして思うのは未来に【本物のヴィンテージ刺繍を1枚でも多く残す】ということがテーマだとのこと。

このまま流れに身を任すと、必ず100年後ヴィンテージと呼ばれる刺繍は【コンピュータ製のヴィンテージ刺繍】になるからです。

未来の人たちに人の手仕事で刺繍した作品を見てもらいたい。

同時に人の温もりが感じられない刺繍ばかりになるのはとても寂しいことだと感じます。

見たら思わず嬉しくなってしまう刺繍を目指して中島氏は今日もミシンと向き合っていることでしょう。

最後に中島氏は、

【僕が活動を広げることにより手ハンドルミシンの担い手も増えていけば、望んだ世界がよりリアルなものになっていくのでは
ないかと思っています。】

素晴らしいイベント成果をあげた後、疲れているにも関わらず真摯にルーツを話してくれました。

また皆様の宝物に新たな風を入れてくれる日を楽しみに再会を待ちたいと思います。

HANDLER INC.中島

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Worked as a sales staff for 10 years in embroidery company after graduating from high school.

Woven fabric called `Kiryu-Ori`has been active in Kiryu-shi of Gunma since the Edo Period.

The town was full of yarn and was even called as `Kiryu of the East`.

Even as a man,I was not self-conscious towards the job for embroidery and got into it.

The job of a sales staff for embroidery is to secure a business for embroidery using the printed charts(image data nowadays).

Embroidery is done by skilled engaged person by using an automatic computer machine called jacquard embroidery machine.

Approximate 80% of the embroidery on products nowadays are done by this machine.

Due to its availability of mass-production, shortening the production period, accurate finish, and low cost.

hand made embroidery machine, one person working for one machine, which was prime until the mid 1900s,
became a minorrole in embroidery.

The reason why the hand made embroidery machine was inherited in time like now was that it was convenient to 
manage to produce small quantities and the work could be done right away with few contract.

Whenever I secured a business with small quantities, I asked the craftsperson to do the job.

However, the business decreased dramatically nowadays and those few craftsperson that existed changed their job
one after another.
 
After leaving the embroidery company, I learned the know-how of the handle embroidery along with the jacquard 
embroidery machine for about 7 years.

I knew the way to use the machine in a certain level from the job I had before, so although I had some difficulties,
Iwas lucky that I managed to self-educate.

In the past several years, I have a mind to `Leave as many as possible authentic vintage embroidery`for
the future.

If we go with the times, what will be called as vintage embroidery 100 years later will definitely be
`vintage embroidery made by computer`.

I felt sad that the people in the future will be filled with embroidery without someone`s warmth.

I would like to leave an embroidery that I feel happy to leave for the future.

By expanding my activity, if the craftsperson increaes, the world that I wish would become more realistic.

Nakajima, handler inc.