ナイジェル・ケーボン|Nigel Cabourn

woman  
Company
woman
HOME > Brand Info > Fox Brothers – PART 1

Brand Info

Fox Brothers – PART 1

2016.12.26INTERVIEW

Fox Brothers – PART 1 – INTRODUCTION & HISTORY

今回の特集はサマセットの郊外に位置する世界でも有名なファブリックミル、フォックス・ブラザーズです。

 

1771年に立ち上がったこの歴史あるミルは、ナイジェル・ケーボンの中でもアイコン的なアイテム生産に尽力をしてくれています。800g/m2のダブルフェイスウールを使用したドンキージャケットに始まり、ローフランネルのピンストライプスーツ、チェックツイードのフィッシングバック等、フォックス・ブラザーズは古くからナイジェル・ケーボンの中で大きな役割を果たしているのです。

我々はヘッドデザイナーであるローズマリー・ブーンと、とてつもない生地への情熱と知識、そして英国ブランドの歴史を知るテキスタイルデザイナーのジョー・ニーデスと素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。

 

ローズマリーと話していて判ったことは、公にはフォックス・ブラザーズは1771年に立ち上がったとなっていますが、実はもっと前から動いていたようなのです。

「フォックス・ブラザーズは公にしている、もっともっと前から動き出していました。1600年代中旬以前だったのではないでしょうか・・・緑地があって羊がいれば、ウールは出来ますから。羊が居ればウールが出来る、これはここだけの話ではなく、英国全土の話です。– 議事堂で政治家は羊毛袋製の椅子に座る – という言い回しがあるように、多くの英国の富裕層にとって、それほどウールは大切なものであったということなのです。」 



「早くからウールは英国人に大きな富を齎せてくれました。フォックスの土台となった人々は1700年代にはアムステルダム、アメリカ、そして極東へ出荷をしていました。これは信じられないような凄いことですが、本当のことです。」

 

しかし、昨今の上質な生地(フランネルや梳毛糸)に関して、ローズマリーは別の話をしてくれました。その素材の多くは南半球、ニュージーランドやオーストラリア、南アフリカを原産とし、それと比較すると英国ではかなりの少量しか作られていないということでした。

 

「我々が上質な素材に英国ウールを使用しない理由の一つとしては、18世紀後半から19世紀にかけて、英国では羊は食肉用に育てられていたことがあります。ウール毛の必要性が下がり、食肉として育てた為、ウール毛としての要素は無くなっていきました。その流れを覆そうとしている人々もいるようですが、それにかかる時間と、羊の種別が伴いません。現実に、ニュージーランドの一か所で1,000頭飼っているようなところのような、そんなところは英国には無いのです。

 

英国の羊毛会社で商況を良くしているところはありますし、そういったところと我々も機会があれば協業します。

「ヨークシャーにベースを置くラックストンズという紡績会社があります。長い歴史を持つ会社ではありませんが、古くからあるフォックス・ブラザーズのようなところが、ラックストンズのような新しいところと協業をして、何か特別なものを作るということは良いことだと思うのです。」

  

このようにヘリテージがコンテンポラリーに出会う、そんなことが我々がフォックス・ブラザーズを訪れた時に起こっていました。この会社は伝統的な製造技術を今も育て、卓越した職人を持ち、それでも尚現代的なデザイン、そして彼らよりも圧倒的に歴史を持たない会社とも協業するという意欲を持っているのです。

 

数百年の紡績の歴史とフォックス・ブラザーズの職人についてローズマリーと話していくに連れて、その転機となったタイミングが見えてきました。

「第一次大戦から第二次大戦の間、我々は過去最大の500人の従業員を抱えていました。その間、海軍や陸軍からとてつもない注文を受けていたのです。しかし、それも今は25人まで減りました。」

  

そんなにも多くの従業員を抱えていたことは、今となっては想像に難いところがありますが、ローズマリーと話をしていくにつれて、何故そんなにも多くのものが必要とされていたのかが見えてきました。

 

「その大戦の間、我々フォックス・ブラザーズは850マイル(=1,360km)にも及ぶ生地でゲートルを作っていました。着数にすると週間で70,000着です。」とローズマリーは説明をしてくれました。(ゲートルとは、活動時に脛を保護し、障害物にからまったりしないようズボンの裾を押さえ、また長時間の歩行時には下肢を締めつけて鬱血を防ぎ脚の疲労を軽減する等の目的がある。
※Wikipedia(https://ja.wikipedia.org)より引用



上記は1807年にトーマス・フォックスによって建てられたトーンデール・ハウスというフォックス・ブラザーズの最初の工場で、今のウエリントン・サマーセットから目と鼻の距離にあります。



「我々のアーカイブブックにあるゲートルの資料です。これは大変残念ながら・・・オーストリアの収監施設から押収されたものです。」

「フォックスは1898年から長きに亘ってゲートルを作ってきました。特別に開発され、両大戦の兵士の大きなイメージとしても認識されています。」



第一次大戦勃発の数年前には今でこそ広く認識されている「カーキ色」でゲートルを開発し、1899年~1902年のボーア戦争で使われました。

伝統的な赤や明るい色は、いざ敵と対峙した際には危険に晒されることがあることから、新色のカーキにとって代わりました。カーキとはインド語の埃に由来していて、その色自体とてもよく考えられた色なのです。



カーキという色の名前に関して、どう綴るかを考えたメモが以下にあります。





上記の写真は1900年代初期の会計処理の帳簿からです。そこには各顧客がゲートルに付ける独特のシンボルのようなマークを持っていたことが判ります。




「フォックス・クロス」のアーカイブのサインです。

さて話を先に進めましょう。大戦後、何故工場は引き続き忙しく、また何が原因で従業員がそこまで減ったのかを紐解きます。

「我々は人々が手製素材のウール製品を好みだしたことから生き延びることが出来ました。ウールは洗濯機に放り込めば良いという手軽さから人々に愛されていました。そして1980~90年代後半には再び注目され、その価値も向上してきました。その後、人々は何処で作られているかに着目をし始めたのです。なので、我々は今、10年前よりもかなり多くの生産をすることが出来ています。」

従業員数が減ったとは言え、彼らが攻勢を成していることは素晴らしいことだと思います。このように長い歴史と仕事の方法が確立された会社にとって、長きに亘ってフォックス・ブラザーズにいた人々のように熟練された技術と篤い気持ちを持つ人々を探すことは、そんなに難しいことではなかったのでしょう。

 

「成功、それは難しいこと。技術を習得するには長い時間がかかり、そこに集中することが必要である。それはコンピューターや若い世代が昨今使っている装備品ではなく、紡績を知らずに生きているということが懸念される。」

SNSやコンピューター、インターネットが欠かせない今ではあるが、教育がこちらに目を向け、人々が物作りに注目する日が来ることを願うというローズマリーの言葉に、我々は賛同せざるを得ません。


「大切なことは机上で学べることだけではなく、我々にとっては物作り、職人魂、そしてそこに携わっているということなのです。」


上記は1900年代初頭と明記されたフォックス・ブラザーズの生地に関する資料。
上記は1900年代初頭と明記されたフォックス・ブラザーズの生地に関する資料。

上記の写真は1900年代初期の会計処理の帳簿からです。そこには各顧客が独特のシンボルのようなマークを持っていたことが判ります。
上記の写真は1900年代初期の会計処理の帳簿からです。そこには各顧客が
独特のシンボルのようなマークを持っていたことが判ります。



   

上記は1900年代からの販促用の資料。


「ローズマリーとジョー、我々を優しく迎え入れてくれ、またナイジェル・ケーボンのオーセンティックラインの大切な部分を担うフォックス・ブラザーズの素晴らしい歴史を教えてくれてありがとう。」

関連商品は、こちらよりご覧ください:
DB JACKET